急なお客様のための


わっかんねえかなあと男を押し倒したまま忍者はつぶやく。


玄関だった。ドアを開けるなり「わっかんねえかなあ」だった。
ここに来るまでに考え事でもしていたのだろう。その結果の「わっかんねえかなあ」だと いうことくらいはヒィッツカラルドにもわかったが、意味まではわからなかった。


気安くドアを開けるべきではなかったと、押し倒されたままでヒィッツカラルドは思う。


結局マスクザレッドがここに来て口にしたのは「わっかんねえかなあ」の一言きりで、直 後にはおどろくほどの余裕のなさでヒィッツカラルドのワイシャツのボタンに食らいついていた。 すべてが面倒だと言わんばかりの力で押さえこまれたので、フローリングの床に頭をつよく 打って一瞬目がくらむ。


「おい。レッド。おい」


プラスチックの小さい飾りに、文字通りかじりついている忍者の姿は、可愛らしいもので は決してない。 この男は本当にマスクザレッドだったのか。どこかの気狂いが入ってきただけではなかっ たかと、ヒィッツカラルドは思わずにはいられなかった。


出会いがしらに殴られたことは幾度もある。
だが突然押し倒されてワイシャツをはがされそうになった経験はないはずだ。あったらさ すがに覚えている。 成りゆきの不透明な事件にまき込まれたわりには、記憶をさぐるだけの余裕がある事に ヒィッツカラルドは驚いていた。


さっきから胸元でぎゃんぎゃん言っている大きな犬は、ボタンの正しいはずし方も思い出 せないようで、人殺しの手順となに一つ変わらないストレートさでボタンを噛みきろうとしている。 ただ真正面から飛びついているだけならば、全身はがされるまでにもう少し時間はいるだ ろう。ため息をつく余裕くらいはある。




「聞こえてるのか、おい」
「黙れ」


低いうなり声はまさに犬そのもので、男の動作によく似合っている。人を殺す時も食事をするときも、マスクザレッドには野犬に似た整然さをもっている。そこには美学だの理論だのが存在するわけではなく、ごく自然だと思っている手順が偶然、ムダを 省いた美しさをもっていたというだけのことだ。 ヒィッツカラルドはため息をもらすと、忍者の頭をおさえつけながらもう一度その名を呼ぶ。 忍者はもごもご言いながら口から一つ、ボタンを吐き出す。縫い糸をかみ切ったらしい。


「なんだって、そういう事になったんだお前」
「なんだってって?」


忍者は考えるふりをするために一拍おく。口のわきからねばついた筋が一本ひかっている のが見えて、本当に犬のようだとヒィッツカラルドは思う。


「知るわけなかろう、なんかこう急に客が来ちまった感じなんだ」




ワイシャツのボタンより先に、ネクタイをはずすべきだということにようやく気がついた ようで、野犬はグレーのネクタイに細い指をからめだす。 客がきたのはこっちのほうだと言ってやりたかったが、彼の言う客というのがそういう意 味ではないことはわかっていたし、下手な軽口を叩いたらすぐさまここで皮膚ごとひん剥かれて しまうかもしれない。ヒィッツカラルドは言葉を失う。




これなら殴られるほうが幾分ましだ。触られるたびにべたべたと残る相手の指のあとが不 快でならない。首筋のひやりとした感覚が、レッドの舌がすべった痕だった事に気がついて、 ヒィッツカラルドは表情を曇らせる。


「それよりなにか?」


思い通りにならない苛立ちは限りなく絶頂にちかづいているようで、それをぎっとかみ締 めてレッドは無理やりに笑う。


「いますぐ、殺したい、って、言ったほうが、お前はうれしいか?」


ヒィッツカラルドは息を飲む。辟易する。野犬のなかにはどちらかしかない。食べることでしか生きていけない。
















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